トレーニングに対する意識
2016.01.04 Monday
今回のコラムは北海道日本ハムファイターズの中垣トレーナーよりいただきました。
私が入団した2004年は、北海道へ本拠地を移し、ヒルマン監督をリーダーに新たに球団がスタートした年でした。
それまでのプロ野球やファイターズでの歴史を踏まえつつ、野球選手としていかに合理的にトレーニングを進めていくか、傷害を予防・管理していくか、私よりも年上の選手もおり、緊張感に包まれた毎日でした。年齢が選手の層に入っていたこともあり、選手達の気持ちを汲むこと、また中堅・ベテラン選手達には大いに協力してもらい、選手達に私の気持ちを汲んでもらうことができたことにも助けられ、逃げ出したい気持ちをいつも携えながらも充実した毎日だったと振り返ることが出来ます。
ファイターズの練習は12球団一少ない、ということがよく言われているようです。
確かにそうであるかもしれません。この背景にはヒルマン監督以来の方針が受け継がれており、個の技術・体力的な課題に徹底して取り組む体力と時間を選手にあたえ、チームでの練習は、個の課題に選手が自主的に取り組むことを前提として行うということがあります。この方針を球団とフィールドが一体となって推進し、現在は、以前に比べるとある程度確立された部分があると同時に、より良いあり方について検証と修正改善が繰り返されています。34歳だった私が今以上に指導者として非常に未熟だった10年ほど前、2004年の秋のキャンプでの出来事をひとつ紹介します。
1シーズンを終え、チームは滑り込みの3位。なんとかプレーオフに残り、未来へ向けて北海道の皆様にむけて、辛うじてファーターズのアイデンティティを示すことが出来ました。
秋期キャンプは若手中心のキャンプとなりましたが、20代序盤の若い選手が多く活躍する現在のファイターズ選手の年齢層と比べると、20代前半から後半までの中堅と言える年齢の選手が中心でした。練習が少ないと言われるファイターズですが、秋のキャンプは野球選手として行うべきと考える最大の強度×量を目指してキャンプ全体のスケジュールが組まれます。その日のチーム練習の最後に組まれていたランニングの前に、1人の選手が思わず...
“マジでやるんすかぁ〜”
こちらとしても気持ちはわかります。朝から何時間も練習を行った後でのキツいランニングはこたえます。ファイターズではがむしゃらな量のランニングをチームの課題として行わせることはありませんが、野球選手としての目的にねらいを定め、高強度のランニングによるトレーニングは高いレベルで行われていると思っています。こちらとしては、やるものはやるという姿勢で、
“やるもんはやる、うだうだ言わない!”
周囲への影響も考えてまずは元気が出るように明るくたしなめようと思った矢先、その選手と同級生の若い選手が若干怒りを交えたような口調で、
“いいよいいよ、やんなくていいよお前!なんのためにやるのかわかんねぇヤツいらねえし!さぁ中垣さんはじめるよ!!”
もちろん、これは仲間に対する叱咤激励の言葉でもあります。言われた選手もそんなつもりで言ったわけではありませんから、バツの悪さはあったと思いますが、
“そんなんじゃねぇよ〜”
その日はいつも以上の集中力でランニングが行われました。
この時に、“このチーム強くなるな、この選手達といつか本当に勝てたら良いな”、そんなことを思いました。翌年ファイターズはリーグ5位。そのとき最初にボヤいた選手も、それをたしなめた選手も、この年に一軍で活躍することはできませんでした。その翌年、2006年、ファイターズはベテランの力に若い選手が一気に加わり日本一になることができました。2人のうち1人(あえてボヤいた方か、たしなめた方かは書きません!?)はレギュラーとして活躍、リーグ優勝と日本一に大きく貢献し、その2人ともが、2015年シーズンもベテランとなって選手生活を続けていました。2人はそのときのことを全く覚えていないでしょうが、今でも選手達がきついトレーニングメニューの前に憂鬱な顔をしていると、叱咤激励しながら、誰がどうやってチームに火をつけてくれるかな、という思いで選手を観察しています。
野球にまつわるたくさんの苦しい場面の中では、ほんの小さな、とるに足らない一幕に過ぎませんが、動機付けの難しいトレーニングでの苦しい場面をどう乗り切るか、このためには目的がはっきりしていること、また、キツいけれどもねらいが定められ、そこに向かっている実感を選手が持てることが、非常に大切であると私は考えています。実践からは遠く、ともすれば、やりたくないきついランニングに対して、選手が自分自身だけでなく、周囲をまきこんで火をつけてくれた場面でした。とても小さな出来事ですが、この時こんな火が灯されたことが、その後のファイターズを支える一部になったのでは、と考えるのは大げさすぎるかもしれません...
できなかったことができるようになる場面、それを目指して選手の心に火がつく場面、それがチームに連鎖する場面、こんなことに立ち会えるトレーニング指導はとてもやりがいのある仕事です。これからも、厳しくも選手に根拠や意図が伝わるトレーニング指導を目指して努力していきたいと思います。
北海道日本ハムファイターズ
中垣征一郎
私が入団した2004年は、北海道へ本拠地を移し、ヒルマン監督をリーダーに新たに球団がスタートした年でした。
それまでのプロ野球やファイターズでの歴史を踏まえつつ、野球選手としていかに合理的にトレーニングを進めていくか、傷害を予防・管理していくか、私よりも年上の選手もおり、緊張感に包まれた毎日でした。年齢が選手の層に入っていたこともあり、選手達の気持ちを汲むこと、また中堅・ベテラン選手達には大いに協力してもらい、選手達に私の気持ちを汲んでもらうことができたことにも助けられ、逃げ出したい気持ちをいつも携えながらも充実した毎日だったと振り返ることが出来ます。
ファイターズの練習は12球団一少ない、ということがよく言われているようです。
確かにそうであるかもしれません。この背景にはヒルマン監督以来の方針が受け継がれており、個の技術・体力的な課題に徹底して取り組む体力と時間を選手にあたえ、チームでの練習は、個の課題に選手が自主的に取り組むことを前提として行うということがあります。この方針を球団とフィールドが一体となって推進し、現在は、以前に比べるとある程度確立された部分があると同時に、より良いあり方について検証と修正改善が繰り返されています。34歳だった私が今以上に指導者として非常に未熟だった10年ほど前、2004年の秋のキャンプでの出来事をひとつ紹介します。
1シーズンを終え、チームは滑り込みの3位。なんとかプレーオフに残り、未来へ向けて北海道の皆様にむけて、辛うじてファーターズのアイデンティティを示すことが出来ました。
秋期キャンプは若手中心のキャンプとなりましたが、20代序盤の若い選手が多く活躍する現在のファイターズ選手の年齢層と比べると、20代前半から後半までの中堅と言える年齢の選手が中心でした。練習が少ないと言われるファイターズですが、秋のキャンプは野球選手として行うべきと考える最大の強度×量を目指してキャンプ全体のスケジュールが組まれます。その日のチーム練習の最後に組まれていたランニングの前に、1人の選手が思わず...
“マジでやるんすかぁ〜”
こちらとしても気持ちはわかります。朝から何時間も練習を行った後でのキツいランニングはこたえます。ファイターズではがむしゃらな量のランニングをチームの課題として行わせることはありませんが、野球選手としての目的にねらいを定め、高強度のランニングによるトレーニングは高いレベルで行われていると思っています。こちらとしては、やるものはやるという姿勢で、
“やるもんはやる、うだうだ言わない!”
周囲への影響も考えてまずは元気が出るように明るくたしなめようと思った矢先、その選手と同級生の若い選手が若干怒りを交えたような口調で、
“いいよいいよ、やんなくていいよお前!なんのためにやるのかわかんねぇヤツいらねえし!さぁ中垣さんはじめるよ!!”
もちろん、これは仲間に対する叱咤激励の言葉でもあります。言われた選手もそんなつもりで言ったわけではありませんから、バツの悪さはあったと思いますが、
“そんなんじゃねぇよ〜”
その日はいつも以上の集中力でランニングが行われました。
この時に、“このチーム強くなるな、この選手達といつか本当に勝てたら良いな”、そんなことを思いました。翌年ファイターズはリーグ5位。そのとき最初にボヤいた選手も、それをたしなめた選手も、この年に一軍で活躍することはできませんでした。その翌年、2006年、ファイターズはベテランの力に若い選手が一気に加わり日本一になることができました。2人のうち1人(あえてボヤいた方か、たしなめた方かは書きません!?)はレギュラーとして活躍、リーグ優勝と日本一に大きく貢献し、その2人ともが、2015年シーズンもベテランとなって選手生活を続けていました。2人はそのときのことを全く覚えていないでしょうが、今でも選手達がきついトレーニングメニューの前に憂鬱な顔をしていると、叱咤激励しながら、誰がどうやってチームに火をつけてくれるかな、という思いで選手を観察しています。
野球にまつわるたくさんの苦しい場面の中では、ほんの小さな、とるに足らない一幕に過ぎませんが、動機付けの難しいトレーニングでの苦しい場面をどう乗り切るか、このためには目的がはっきりしていること、また、キツいけれどもねらいが定められ、そこに向かっている実感を選手が持てることが、非常に大切であると私は考えています。実践からは遠く、ともすれば、やりたくないきついランニングに対して、選手が自分自身だけでなく、周囲をまきこんで火をつけてくれた場面でした。とても小さな出来事ですが、この時こんな火が灯されたことが、その後のファイターズを支える一部になったのでは、と考えるのは大げさすぎるかもしれません...
できなかったことができるようになる場面、それを目指して選手の心に火がつく場面、それがチームに連鎖する場面、こんなことに立ち会えるトレーニング指導はとてもやりがいのある仕事です。これからも、厳しくも選手に根拠や意図が伝わるトレーニング指導を目指して努力していきたいと思います。
北海道日本ハムファイターズ
中垣征一郎